〜1960年代

〜1960年代

キングコング対ゴジラ(King Kong vs. Godzilla 1962 日本)

東宝創立30周年記念作品として、キングコングのRKO社とライセンス契約を結び実現した「キングコング対ゴジラ」。東宝を代表する本多猪四郎監督と田中友幸製作で、特撮の円谷英二とのコンビで完成させた。日本国内では1,000万人以上動員の記録的ヒットを飛ばしたが、映画自体の評価は軒並み高くはなかった。
〜1960年代

死刑台のエレベーター(Ascenseur pour l’échafaud 1958 フランス)

ノエル・カレフの傑作サスペンスを映画化した「死刑台のエレベーター」は、ルイ・マル監督による1958年公開の魅力的なフランス映画です。当時25才のルイ・マル監督デビュー作であり、この作品で一気に名声を得ることとなりました。
〜1960年代

鳥(The Birds 1963 アメリカ)

ホラー作品の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督の1963年のスリラー映画『鳥』は、動物を用いたホラー作品の先駆けで、この映画の完成度の高さと話題性で1970年代には動物系のパニック映画が続々登場するきっかけとなりました。 物語は、魅力的な大富豪の社交界の人気者メラニー・ダニエルズ(ティッピー・ヘドレン)を中心に展開します。
〜1960年代

荒野の七人(The Magnificent Seven 1960 アメリカ)

黒澤明監督の「七人の侍」を、メキシコに舞台を移してリメイクした西部劇映画「荒野の七人」(1960)は、ジョン・スタージェス監督によって手がけられました。主演のユル・ブリンナー以外のスティーブ・マックィーンやチャールズ・ブロンソンなどは本作の世界的な大ヒットを受けてスターにのし上がった出世作となっています。
〜1960年代

ダイヤルMを廻せ!(Dial M for Murder 1954 アメリカ)

1954年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督の傑作サスペンス・スリラー。原作のフレデリック・ノットの舞台作品で、フレデリック・ノットが自ら手を加えて脚本を担当しました。ヒッチコックの演出でさらに緊迫感のある作品として、スクリーンで展開させました。
〜1960年代

マイ・フェア・レディ(My Fair Lady 1964 アメリカ)

『マイ・フェア・レディ』は、ジョージ・バーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』を翻案したクラシックミュージカル映画で、記憶に残る演技と贅沢な演出によって命を吹き込まれた傑作です。アカデミー賞8部門受賞した本作は日本でも大ヒットしました。
〜1960年代

博士の異常な愛情(Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb 1964 アメリカ/イギリス)

正式タイトルは『博士の異常な愛情 または私が如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』という非常に長いタイトルになっています。文中は「博士の異常な愛情」で表記いたします。作品はスタンリー・キューブリック監督で1964年に製作公開されました。
〜1960年代

ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s 1961 アメリカ)

トルーマン・カポーティの中編小説を基にした古典的なロマンティック・コメディー「ティファニーで朝食を」では、ニューヨーク市に住む自由奔放な若い女性、ホリー・ゴライトリーが主人公です。オードリー・ヘップバーンはホリーで輝きを放ち、彼女の魅力と傷つきやすさ、そして愛と自立を演じています。
〜1960年代

ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago 1965 アメリカ/イタリア)

1965年公開のロシア革命と第一次世界大戦を背景にした大作映画「ドクトル・ジバゴ」では、「アラビアのロレンス」の名匠デビット・リーンが監督を務めた壮大なスケールの恋愛大作です。挿入曲「ラーラのテーマ」はあまりにも有名で、アカデミー作曲賞も受賞しました。
〜1960年代

シェルブールの雨傘(he Umbrellas of Cherbourg 1964 フランス)

『シェルブールの雨傘』は、ジャック・ドゥミ監督による1964年のフランスのミュージカル映画です。 海岸沿いの町シェルブールを舞台にしたこの映画は、1950年代を背景にジュヌヴィエーヴとギイのほろ苦いラブストーリーを描いています。
スポンサーリンク